top of page
  • 執筆者の写真Beyond Media

「絶対屈しない」ミャンマー市民の強い思い

更新日:2022年1月9日

writer Mari Adachi Editor-in-Chief of Beyond Media

 いっこうに改善しないミャンマー情勢。にも関わらず、世界的な関心はどんどん遠のいている印象がある。この度、Beyond Mediaでは国際協力関係の仕事に従事し、現地に在住のMさんにインタビューをした。そこには日本でも報じられていない国軍の非人道的な暴行などの実態が明らかになった。とにかく平和的に、そして非暴力で徹底抗戦したいという市民たちに、国軍は容赦無く実弾を使う。地方ではその非人道的な村の焼き討ちや空爆も行い、現在、わかっているだけでも、市民の犠牲者数(死者数)は1345名にのぼり、逮捕者は1万人を超えている。同じ国民でありながら、なぜここまでやれるのか。それにはミャンマー特有の理由があった。


Q1. 現在のミャンマーは安全だと言えるのか?

都市部と地方ではちょっと違う。ヤンゴンのような都市部では比較的通常どおりの生活ができている。たが、街の至る所で軍の検問所があったり、散発的に銃撃戦や爆破事件が起こったりしている。地方では軍と、武装勢力が対立しているところがある。そういう地域では、軍のヘリによる空爆があったり、村が焼き討ちにあったりして、双方に死傷者が出ている状況。国内避難民ももともといたが、さらに20万人くらい増えている。

Q2 日々の生活、物資などは行き届いている?

モノの流通は比較的大丈夫だが、輸入物がすごく値上がりしている。特にガソリン。ガソリンは2倍近くに。コロナとクーデターのタブルパンチで工場などが閉鎖に追い込まれていたりで、失業者が増えたり、農家も農作物が輸出できずに値崩れしているということはある。経済的にも打撃は大きい。


Q3 クーデター当時の状況はどうだった?

2月1日の明け方にスーチーさん拘束、と友人から連絡がきた。晴天の霹靂だった。最初に考えたのは「民主派の人たちが一斉に暴動を起こすのではないか」だったが、それは全く違った。むしろ彼らは「非暴力、不服従」をその日のうちに叫んでいた。というのも彼らは暴力的に対抗すると、必ず国軍は弾圧を名目にひどい仕打ちをやってくる、というのを過去の歴史から学んでいたからだった。そういう情報は基本、インターネット、特にFacebookで全て拡散してくる。ミャンマーではインターネット=Facebookというイメージ。「こういう方針でやっていこう」というのも全てFacebookで流れてきて、市民の合意は形成されていった。

Q4 抗議運動はどういうモノだった?

夜8時から外出禁止令が発令されたのだが、その時間になるとあらゆる家から鍋叩きが始まった。その音が町中あらゆるところから鳴り響き、それが立ち上り、なんとも言えない音に。何度も泣きそうな想いになった。ミャンマーでは悪霊を追い払う、という意味から、鍋を叩くのは伝統だった。8時から15分間ほどの鍋叩きは毎日続いた。ただ、数ヶ月ほどたつと、鍋を叩いている家が片っ端から軍に踏み込まれるようになり、いつしかこの抗議活動は止まってしまった。


Q5 クーデターに対し、市民は非暴力で対抗していたが、それも弾圧。その後はどうなっていった?

鍋たたきと同時期に、街では昼間、デモ行進がおこなわれていた。さらにCDM(市民的不服従)という活動も進んでいた。これは「公務員が選挙で選ばれた政権の元でしか働きません」ということをアピールして、職務をボイコットした。結果、銀行や鉄道、病院までもがストップ。市民はそれはとても不便なことなのだが、CDMの活動をしている人た日をヒーローとして扱い、サポートしていった。給与が無くなった公務員のために、募金活動を呼びかけ、膨大な額のお金が集まった。


Q6 国軍はそれに対してどう対抗してきた?

2月の下旬あたりから、実弾を使っての弾圧をし始めた。非暴力でデモをしている世代の中心はZ世代と言われる若者ばかり。彼らに対して、実弾を放つようになり、多数の死傷者が出ることになった。さらに、国軍は「夜であれば逮捕状なしで、逮捕できる」という条例まで作り、次々にキーパーソンたちを拘束、逮捕するようになった。人によっては相当な暴行を受け、無残な姿で、例えば歯を抜かれたり、耳を切られたりという姿で家族の元に返されるということもあった。


Q7 デモ隊や市民たちはどうなっていった?

国軍の実弾に対して、花火などで打ち返したりして、なるべく平和的に対抗していたが、あまりの非人道的な国軍にもう耐えかねていった。デモ隊側もいよいよ、銃などの武器を手にすることになっていった。


Q8 国軍も同じ国民。それでも同じ市民をなぜここまでやるのか?

今でも街では検問などがあるが、常に銃口がこちら、市民側を向いている。同じ国民といっても、彼ら国軍にしてみれば、「市民は敵なんだ」と思い知らされる。ミャンマーは昔から少数民族との対立が多い国でもある。少数民族でも国民だった。なので、国軍からすると「敵は常に国民の中にいる」という認識が強いようだ。その点、日本人ではなかなか理解できないものかもしれない。


Q9 市民が敵、という国軍たち。そんなのは虚しい。

ある意味、軍に従事している人たちはマインドコントロールされているとも言える。自分たちに歯向かう人は全て敵だと。中にはほんの一部、CDMに参加した兵士もいたが、結局、兵士たちは軍の敷地内に住んでいて、家族もそこにいる。ある意味、家族を人質に取られているという背景もあり、難しい部分もある。

Q10 ミャンマーの若者たち、Z世代はもともと政治などに興味があったの?

基本的に、クーデター後にその熱は高まっていった。特に、これまで自由になんでもできていたことが、クーデターによって奪われてしまった、という気持ち、憤りは大きいと思う。自由に意見を言っていた仲間たちが、問答無用に殺されていっている、という現実を見て、ますますその熱は高まっている。また、30代より上の世代は、昔の軍政権時代に育ち、知っているので、それには帰りたくない、子供など次世代にもそれは味わってほしくないという強い思いがあり、抵抗は続いている。


Q11 アウンサンスーチーという人は市民にとって、どういう人?

スーチーさんをみんながみんな支持しているというわけではない。不支持である人もある程度市民の中にはいて、意外と人それぞれ。ただ、彼女への敬意はある程度、みな共通して持っているように思う。1988年の民主化の運動の中、カリスマ的リーダーとなって以来、スーチーさんは断続的に軍に拘束、軟禁されていて、それが15年ほど続いた。ご主人がイギリス人だったが、彼の死に目にも会えなかった。それでもスーチーさんはミャンマーの民主主義のために尽くしてくれて、活動を続けていってくれた。ミャンマー市民からするとスーチーさんは「自分たちのお母さん」というような位置付け。彼女以外に軍と張り合えるようなリーダーもいない。彼女を支持していない人でも、彼女の役割は認めている。

Q12 スーチーさんに対し、軍政権は実刑判決を言い渡している。これに対し市民はどう反応している?

正直、今回の判決については市民はあまり関心を持っていない。というのも、結果が見えていた。いま、軍が司法も立法も、行政も全て牛耳っている。軍の敵であるスーチーさんに無罪判決を出すわけがないと、市民も思っていた。やることは一つ、だと市民は思っている。自分たちが軍政権を倒す、そうすればスーチーさんは解放される。ただ、この活動はスーチーさんのために、というものではなく、今の狂った国軍を倒す、ということがとにかく大きなコンセンサスになっている。


閲覧数:46回

最新記事

すべて表示
bottom of page