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偏見を打ち破るミスコン

  • 執筆者の写真: Beyond Media
    Beyond Media
  • 2020年7月5日
  • 読了時間: 4分

writer Mari Adachi Editor-in-Chief of Beyond Media

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Nimo Hashi represented Kentucky in the 2019 Miss Muslimah USA pageant, whose participants must be practicing Muslim women.Credit...Farah Al Qasimi for The New York Times


元来、ミスコンテストなるものはあまり好きではないのだが、このコンテストについてはちょっと注目している。


アメリカではいま人種間の分断が言われている。Black Lives Matterにみられる抗議活動の活発化でなおさら人種への関心は高まっている。差別は人種だけではない。宗教によっても差別はある。


日本ではなかなか馴染み薄いかもしれないが、イスラム教は世界でも19億人が信仰しているといわれる。キリスト教の26億人に次いで多い。にも関わらず、なかなか理解は進んでいない。人口の多様化が進んでいるアメリカですら、である。


そんな中、一人の女性が立ち上がった。オハイオ州コロンバス出身のマグリブ・シャヒッドさん。アメリカではお馴染みのミスコン。アメリカの文化的アイデンティティともいわれるこのコンテストをムスリム女性対象に開催した。信教の自由とムスリムのアイデンティをアピールするために。


ニューヨークタイムズはこのコンテストを特集している。

ヒジャビ(イスラム教徒の女性が頭を覆うスカーフ)を着用するシャヒッドさんは、米国では300万人以上と推定される多様な人口を持つイスラム教徒に対する差別の矛先を自分や他の女性たちが受けていると感じていた。


トランプ大統領は多くのイスラム教徒の国からの移住を禁止することによって、米国内でイスラム恐怖症を煽っている。「私たちは一目でみてイスラム教徒、とわかるので、最初に攻撃されるのは私たちなのです」とシャヒードさんは言う。「私はイスラム教徒の女性たちに、自分たちへの誤解を改める機会を与えたかった」としている。


ミス・ムスリマーUSAに出場の対象年齢は17歳から40歳までで、当然イスラム教徒でなければならない。250ドルの登録料と審査があり、アバイア(ゆるいローブのようなドレス)、ブルキニ(全身を覆う水着)、控えめな特別な日のドレス(きつすぎると失格になる可能性がある)、そしてタレント(話し言葉の詩やコーランの朗読)の5つのカテゴリーで競う。


優勝者はミス・ムスリムUSAのタイトルを1年間保持し、提携ファッションブランドPerfect for Her のモデルやスポンサー企業などと活動する。当初、優勝者に5000ドルの賞金を予定したが、金銭的な報酬は取りやめ、奨学金などで充当することを検討しているという。

わずかな予算でページェントを運営しているシャヒッドさん、貯金をはたいてソマリア系アメリカ人モデルのハリマ・アデンさんをコロンバスに連れてきて、2017年、初のミス・ムスリマUSAを開催した。


アデンさんは2016年のミスUSAのミネソタ代表コンテストで、初めてヒジャブを着用して出場し話題を呼んだ女性だ。2019年にはスポーツ・イラストレイテッドのコンテストでもヒジャブとブルキニを着用した初のコンテスト出場者となっている。


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インスタグラム #halimaaden より


アデンさんのインタビューは雑誌コスモポリタンが掲載している。


「金持ちになることや裕福になることではありません。本当の意味での変化、本当のインパクトを与えることです」とシャヒッドさんは言う。コンテストを通じて、イスラム教徒の女性たちの人生を変えていきたい、そして自分の信念はいいのだ、と思ってもらいたいと語っている。


またこのコンテストは同じイスラム教徒からも反発は強い。女性にスポットライトをあてること自体がイスラム教の「謙虚さの定義」に反する、というものだ。しかし、こうした指摘はシャヒッドさんは「謙虚」に受け止めるが、敢えて変えようとはしない。伝統ばかりにはとらわれないのが彼女の考えだ。


アラビア語を話せない若者も増えている。それでもコンテストに参加できるように、

出場者にはコーランの朗読のほかに、詩を読むという選択肢も加えた。


今年からは、ヒジャブを着用していないイスラム教徒の参加も認め、ヒジャブを着用している参加者と並んで出場することができるようにした。


変革しながら、アイデンティテイの確立を目指す取り組みを今後も応援していきたい。


アメリカで起こっているこうした現象はいずれ日本でももたらされるだろう。まだまだ多様性に不寛容な日本、ぜひとも色々な世界を見て柔軟性をもつ社会になっていってほしい。

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