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障がいや病気のある人がもっと楽しめる場所を・・奈良の "ちょっと不自由" な宿

writer Mari Adachi Editor-in-Chief of Beyond Media

(ume,yamazoeのHPより)


面積の8割が山林に囲まれた緑豊かな奈良県山添村。奈良と三重の県境のこの地で一風変わった “ちょっと不自由” な宿がある。その名は「ume,yamazoe(ウメ・ヤマゾエ)」。かつて村長が住んでいた古民家をリノベーションした。この宿を経営するのはオーナーの梅守志歩さん。

(ume,yamazoeのHPより)


コロナ禍の到来とほぼ同時期の2020年3月にこの宿はオープンした。さまざまな苦労が押し寄せたが、彼女の信念は揺らぐことがなかった。


志歩さんは大学を卒業後、大手のインターネット広告の会社に勤めた。その彼女がなぜ、宿を始めたのだろうか。会社に勤めて3年が過ぎた頃、志歩さんの父親から実家を継いで欲しい、と懇願された。家業は奈良市でも有数な寿司製造販売会社(梅守本店、本社・奈良市)を営んでいた。


奈良といえば柿の葉寿司が有名だが、もともと葉っぱでモノを包んで食べる文化が奈良にはあった。梅守本店は、わさびの葉で包んだ可愛い寿司「手毬わさび葉寿し」などが人気を呼んでいた。父・康之さんからのたっての願いということで、志歩さんは働いていた広告会社を退社した。

異業種から寿司の製造販売の世界に突然飛び込んだ志歩さん。毎日、目の回るほどの忙しさに追われた。「中小企業なので、なんでも全てやらなくてはならなかったので、とにかく大変だった」と笑顔で振り返った。寿司の製造管理から販売、営業、人事、経理まで全てをこなした。とてもハードな日々だった。(写真は梅守本店のHPより)


自然の中で暮らしたい

そんな中、いろいろな人々や本との出会いがあり、「自然の中で暮らしたい」と思うようになった。今でこそ「移住」や「リモートワーク」が当たり前のようになっているが、8年ほど前にはまだ縁遠いことだった。山添村には縁があった。梅守本店で使っていたわさびの葉を、その村から調達していたのだった。志歩さんは家業の仕事に追われながらも、わさび農家のおじいちゃんたちとも親しくなっていき、山添村が好きになっていった。


手始めに、実家のある奈良市から山添村に引っ越してみた。毎日、星がきれいだな、花が咲いたな、と自然の美しさに感動しきり。そんなことに気がつける自分の変化が嬉しかった。この村にいる時の自分がとても穏やかな心でいられることに気づいたのだ。それだけでも幸せで、あっという間に時は過ぎた。


徐々に「どうしたら自然の中に、もっと長くいられるのだろうか」と考えるようになった。そこで思い付いたのが、この自然の中に何か仕事を作ればいいのか・・・。山添村で仕事を作るにはと、あれこれ考え、宿の経営にたどり着いた。そう思ったら、カラダはすぐに動いていた。


自然に囲まれた中で宿を作る。感覚が穏やかになり、心が優しくなれる場所を誰かに提供したい。そう決めたのには志歩さんの家族に大きな理由があった。


今から20年ほど前に志歩さんの姉が後天性の重度の精神疾患となってしまったのだ。その1年半後には妹が白血病となり、それまでの日々が大きく一転してした。今ある当たり前が、明日は当たり前ではないのだと・・・。姉は2〜3歳くらいの知能に落ちていた。いきなり大きな声を出して周りを驚かせたり、突然走り出したりすることもあった。一緒に外出することが難しくなった。今までのような外食や旅行が行きにくくなった。白血病を患った妹も、無菌室の中で抗がん剤治療を余儀なくされた。出かけたくても出られず、食べたいものも食べられず、着たい洋服も着られずと様々な制限を受けた。


やりたいことが思うようにできない、しかもチョイスもない・・・そんな状況を間近で見てきたことが、志歩さんを突き動かした。この状況をなんとかしたい。

(HAJIMARIプロジェクトのHPより、梅守志歩さん(右)と姉のあきさん)


自然界にふと目をやると、足のないカマキリが歩いていた。尻尾のないトカゲもいた。そんなものをぼうっと眺めていた。自然界ではカマキリに対して、「あ、足がないね」とか、トカゲに対して「どうして尻尾がないの?」なんてお互いに聞かないはず。


それぞれがその状況を、当たり前のように受け入れて日々、当たり前のように生活している。どうして人間の世界ではそれができないのだろう。人間界ではちょっと不自由なだけで、みんなはなぜ、異質なものとして見るのだろう。むしろ大切にされない。なぜなのだろう、そう考えたら悔しくなった。憤りすら感じるようになった。


姉が一時、入院していた精神科の病院では、患者を普通の「人」として扱ってくれていないような気がした。ある日、病院のトイレが汚れていたので、志歩さんは看護師に「ここを掃除したいので、掃除道具を貸していただけないですか?」と尋ねた。すると返ってきた答えが「掃除は週に1度、担当者がやるので、そのままにしておいてほしい」だった。


掃除をお願いしているのではなく、道具を貸してほしいとお願いしただけなのに・・・。掃除道具さえ貸してもらえれば、志歩さん自身が掃除をすると申し出たのにも関わらず、放置しておいてほしいだなんて、意味が分からなかった。道具すらも貸してくれない。なんて杓子定規なんだろう。そこに優しさはなかった。志歩さんはその時のことを思い出し、悔しがった。


「決して、日本の病院や福祉の現場のスタッフを責めているわけではないんです」と志歩さんは言う。「看護師さんも、ただルールに従っているだけで、悪気はないのでしょう。でも、もうちょっと人間味や優しさがあってもいいのに・・・」。看護師たちは日々の仕事に追われて、余裕がないのかもしれない。それでも人間を相手にした仕事をしている限り、ちょっとした柔軟さや優しさがあって然るべきだろう。掃除道具を貸してくれることが、どれだけ迷惑をかけることになるというのだろうか。


こうした悔しい経験や、つらい経験が志歩さんの宿づくりの原点となった。両親が経営者だったことも大きな要因だ。行政や福祉にお願いして何かをやってもらう、変えるというよりも、ビジネスという側面から社会を変えたいと思うようになった。


障がいや病気があっても楽しんでほしい

障がいや病気のある方、そしてその家族に向けて、楽しめて安心できる場所を提供したい。買い取って、改築しようと思っていた家が偶然にも3棟の離れでできていた。これであれば、たとえ大きな声を出しても、走り回ったとしても、人目を気にせず滞在できるのではないか。それだけの空間は確保できる。周りののどかな自然が受け止めてくれる。家族が笑顔を取り戻してくれるそんな場所になってくれれば、と考えた。

(ume,yamazoeのHPより)


しかし小さい集落、保守的な山添村に宿を作るのは大変ことだった。一筋縄ではいかなかった。それもそのはず。ふら〜っとやってきた若者が「突然、宿をやります」など、地元の人々も驚いたに違いない。世代によってはなかなか理解が得られなかった。そこを丁寧に志歩さん、そして賛同してくれる人たちで説得にまわり、ようやく2020年の3月に宿のオープンに漕ぎ着けた。


苦労してオープンしたume,yamazoeだったが、次の困難は前代未聞のコロナパンデミックだった。何をするにもいろいろな障壁は付きものだと志歩さんは開き直った。

(ume,yamazoeのHPより)


通常の宿としてオープンする傍ら、障がいや病気のある人や、その家族も受け入れ、少しずつ運営を整えていった。そんな中、配慮が必要な人やその家族を無料で招待してみようと考え、プレスリリースを打ってみた。すると予想以上の反響があった。数件あればいいかな、くらいで考えていたが、150件ほどの問い合わせが来た。


そんなにニーズがあるのか・・・。3部屋しかないこの小さな宿で、全員を受け入れきることは難しかった。問い合わせがあった150件には、それぞれエピソードが添えられていた。ひとつひとつ読んでみた。どれもみんな素晴らしく、感動し、時には読みながら涙した。誰かだけを絞るのはとても困難だった。


各地に楽しいチョイスを広げたい

この問い合わせの状況を見て、志歩さんや志を同じくするスタッフは2つの結論を出した。


ひとつはもっといろいろな施設、宿、ホテルなどが受け入れるような仕組みを作りたい。関西地区ならここume,yamazoeがあるが、関東や北海道の人が、奈良まで足を運ぶのは非現実的。そうであれば、全国津々浦々とまではいかなくても、エリアごとに1軒ずつでも受け入れることができる施設があれば、どんなに良いだろう。


そしてもうひとつが、通常の宿運営をする中で、月に一定の日は何かしらケアが必要な方とその家族の日、というのを設定する、というものだった。利用者も心置きなく宿を利用できるのではないだろうか。無料招待でなくても、そういう日を作ることで、気分的にも楽になるのではないかと考えたのだ。


その結果、毎月第4日曜日を「何かしら配慮が必要な方向け」として設定した。本来は毎日の中で、色々な人が混じり合い、一緒に共存していける場所が理想だが、まずはそこへの道のりとして、一旦、そういう日を設定。それにより、この日は行ける、とか、自分たちも旅行に行けるんだという風に、楽しいと思えるチョイスがそこにあるというものを提供することにした。

(HAJIMARIプロジェクトのHPより)


宿をオープンして3年が過ぎたが、その間、コロナとの戦いもあった。病気があってもなくても、移動は制限され、お客さんもなかなか外出することができなかった。そこでまた志歩さんたちのチームにアイディアが浮かんだ。「サウナを作ってみよう!」。大自然の中でのサウナはさぞ気持ちいいだろう。


スウェーデン式のサウナが比較的安価で作れるルートを見つけた。思い立ったらすぐ動く、それがチーム梅守の真骨頂。「本当は温泉とか、大浴場のようなものが作りたかったのですが、予算が限られていたので・・・」ということでたまたまサウナを作ったという。

(ume,yamazoeのHPより)


そんな、たまたまでチャレンジしたサウナだったが、実際、設置してみたら、大自然の中でのサウナが素敵だと、あれよあれよと口コミが広がった。しまいには「サウナシュラン」でもトップ10に選ばれるほどになっていた。「それほどサウナをウリにしようと思っていたわけでもないのですけどね・・・」と志歩さんは苦笑いする。


ちょっと不自由だけど、心地いい場所

いろいろな試行錯誤を重ねたume,yamazoeは坂道も多く、近くにコンビニもスーパーもない。部屋にはテレビもない、時にはWiFiの電波も届かない。 “ちょっと不自由“な宿は、かえってそれが、普段あるもののありがたさに気づけると人気宿に成長していった。


障がいや病気のある人たちの受け入れの際も、宿としてできること、できないことを明確にすることをポリシーとしている。不自由なこともあるが、そこはお互いで乗り越えていこうというものだ。


「看護師さんがいるわけでもなく、福祉の専門家がいるわけでもない。山間部なので救急車もすぐには駆けつけられない。なんでもかんでも私たちがケアします、とは言いません。双方の努力が必要で、一緒に素敵な時間を作っていきましょう」と志歩さんは予約者に必ず伝えている。一緒に優しい時間を作り上げていく、その考え方が意外と新鮮だ。

(ume,yamazoeのHPより)


「HAJIMARIプロジェクト」 とクラウドファンド

2023年2月には「HAJIMARI(ハジマリ)」と題して、クラウドファンディングを立ち上げた。これまでの1年ほどで、障がいや病気のある人、その家族を12組、50名以上を無料招待してきた。ume,yamazoeを訪れると、宿泊客の表情がみな穏やかで、明るくなっていく。志歩さんたちがやっていてよかった、と思える瞬間だった。


ただ、こうした無料招待は全て、スタッフ全員が手弁当で、ボランティアで対応してきた。これからもこれを続ける、というのはあまりにも大変だ。何より、そんな状況で各地で受け入れてください、といっても広がるわけがない。全国に広げていくにはしっかりとした基盤を作り、ある程度のマニュアルも考え、ビジネスとして回していけるようなスタイルにする必要がある。その組織づくりのベースとしても、クラウドファンドへの協力を呼びかけている。


クラウドファンドのネーミングである「HAJIMARI」は、志歩さんたちの活動が、誰かの新しい未来の「始まり」になってくれるようにとの願いが込められている。3月末までに500万円の資金獲得を目指している。

(HAJIMARIプロジェクトのHPより)


今の社会には色々と見えないものがたくさんある。人は目の前にいても、そこからは見えてこないものがある。背後にある時間とか、思いとか、家族とか。そうしたものをお互いに思い合って、おもんばかっていける社会が来ることを願っている、どんな人もでも誰かに愛されて、誰かに大切にされて大きく育っていくものだ、と志歩さんは熱く語る。

(HAJIMARIプロジェクトのHPより)


障がいも障がいではなく、単なる一つの違い、染色体がちょっと違うんだな、くらいに思い、より優しい目で誰かを見ることができ、誰かを愛することができ、許せることができる。1日でも早くそんな素敵な世界が広がってほしい。

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