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  • 執筆者の写真Beyond Media

サミットの意義

writer Mari Adachi Editor-in-Chief of Beyond Media

日本で5月19日ー21日の間、G7サミットが広島にて開かれた。ひとことで言うと、なんともスッキリしなかった、というのが私の正直な感想だ。


確かにG7サミットなど各国首脳陣が一堂に会する場合、基本的にはメディア的な壮大イベント、ある種のエンタメ的な演出がかった催事というイメージが近い。コミュニケ(声明)として発表されるものは、事務方が必死になってサミット直前までに各国と調整し、サミットの時にはすでに出来上がっていることが多い。とはいえ、その声明はあたかもサミットのクライマックスとして最終日に発表されるのが常だ。


しかし今回はウクライナのゼレンスキー大統領の電撃(という演出?)登場により、そのクライマックス的な声明は推し消されてしまう可能性が高い、と睨んだ議長国日本は、早々に声明を発表した。冷静に考えれば、すでに出来上がっている声明なので、いつ発表しても驚かないわけだが、メディアはこぞって「異例の前倒し」などと伝えた。


冒頭に述べたように、今回のサミットは私にとってなんだかスッキリしない、もやもやするものだったその理由を、いくつかに分けて考えてみたい。


開催地が広島

サミット会場として広島という場所はどうだったか。世界に被爆国であることを改めて知らしめる、という意味でこの広島の地というのは、良かったのかもしれない。ただ、それでは長崎は?という疑問が残る。単に広島が岸田総理の地元、ということでしかないだろう。岸田首相が仮に長崎出身であれば、長崎で開催だったと思う。サミットの開催地はまず自治体からの立候補があり、その後、警備や環境、人的態勢などを考慮して首相が最終判断するとのことなので、まあ広島が手を上げれば、決まりやすいはず。首相は政治家。なので、地元優先というのは当たり前なわけである。


核廃絶への思い

広島の市民にとっては今回、核廃絶への機運高まりに期待していたのは当然のことであろう。NGOや市民団体がサミットに向けて、さまざまな提言をしていた。サミットに併せて若い人たちを世界から招待するなど、核廃絶に向けた取り組みも盛んだった。各国首脳も揃って広島の平和記念館を訪問した。歴史的な出来事だった。首脳陣の見学風景は公開されなかったが、それでも各首脳の心を動かしたことは間違いない、と信じている。カナダのトルドー首相は、サミットの会議後、1人でプライベートとして平和記念館を訪問していた。


誰もが核兵器はない方がいい、そう考えてはいる。だが、現実には難しい。G7参加のアメリカを筆頭にフランス、イギリスは核保有国。日本はその傘の元にいるのは歴然とした事実である。しかし、記念館訪問をきっかけに、少しでも核を減らし、無くす方向に向かうにはどうしたらよいのか、考えてくれるきっかけになれば、今回の広島という場所でサミットを開催したことに意味があったと言える。


ただ、広島市民にとっては、核廃絶を訴える場所で、ウクライナへの戦争支援や兵器の供与が話し合われたことは、屈辱的だったのではないだろうか。しかも、サミットの結果、日本はより戦争にコミットしていくことを表明してしまったような形になった。これはとても残念なことだ。一つ救われたのは、ゼレンスキー大統領が会見で軍事支援を声高に言うよりも、戦争をなくしたい、と強調した点は広島という場所を意識したものだったとはいえ、なんだか少しだけホッとした。




サミットは軍事同盟ではない

結局、ゼレンスキー大統領の訪日によって、すべてが大成功というような雰囲気に包まれたが、ちょっと待ってほしい。これは周到に用意されたものなのだ。そもそも今年3月に岸田総理が電撃でウクライナを訪問した際、日本側からも提案していたとも言われている。もっと詳細なところはゼレンスキー大統領の訪日直前の、ヨーロッパおよび中東歴訪の中で、スナク英首相が働きかけ、マクロン仏大統領が専用機を用意したと言われている。


本来であれば、ウクライナの最大支援国であるアメリカ(約10兆円規模の支援)にまず全面的に協力を依頼するはずだが、実際は違った。戦闘機F-16の供与については、保有国であるオランダやベルギーが提供し、アメリカはパイロット訓練を支援するにとどまっている。


なんともモヤっとする。アメリカは直接提供せず、ヨーロッパが提供するなら止めはしませんよ、というスタンス。実際アメリカではF-35への切り替えが進んでいるため、毎年数十機のF-16がリタイアしていると聞く。(だったらそれを供与すればいいじゃないか、と思うのだが・・・)


一方、日本はというと今回のゼレンスキー大統領の訪日により、なんだかイメージアップとなり岸田政権の支持率アップというプラス効果が得られた。本当にそれでいいのか、日本人と言いたくなる。本来サミットは軍事同盟ではない。この点を私は強く言いたい。


先日のテレビ出演でもそれだけは言わせてもらったが、時間がなかったので詳しくは説明できなかった。サミットというのは、世界の経済、食料、エネルギー、環境、人権などを幅広く話し合う場である。確かに外交と安全保障は大切なテーマである。まして戦争当事国のリーダーが戦時下にも関わらず、サミットに参加すればその話に流されてしまうのはわからないでもない。


そうであれば、シリアは?アフガニスタンは?スーダンは?ミャンマーは?そこのリーダーたちがもし参加したらどうなるのか、なんてことを考えてしまった。本来は、軍事支援を皆が揃って表明するのではなく、ロシアや中国を呼ぶなり、繋ぐなりして、侵攻の停止や停戦、和平、あるいはそこに向けて、どう支援するのが一番よいのか、ということをサミットでは話し合うべきではないだろうか。国連の事務総長も来日していた。


メディアの役割

とにもかくにも、メディアもいっぱいいっぱい。それはよく分かる。サミットのような大イベント、この手の取材をしてきた身としては、痛いほどよくわかる。しかも想定外にウクライナからの電撃訪問があっては、それはパニックに近かったと思う。特にテレビ局は派手なニュース、派手なパフォーマンスを映像におさめ、それをこなしていくことで精一杯だったと思う。カメラ、足りるか?生中継どこでいつやるんだ?会見はどこ?原稿はいつ出来上がるんだ?などなど。


そしてこれらロジ全てを切り盛りし、仕切った外務省や大使館の担当者の方たちも、さぞ大変だったと思う。そうして頑張った方々、大変お疲れ様でございました。


でも真のメディアはサミットの本来の役割、話し合うべき重要課題について、地に足が着いた形で報道をするべきだろう。戦争がおきているいる今だからこそ。


日本国民としても、今回の壮大なるイベントについて、大絶賛するのではなく、何が起こっているのか、そしてどんな議論がなされたのか、一方でどの議論がされなかったのか、落ち着いて考えることが必要だと思う。だって、今回のサミットには私たちの血税が相当つぎ込まれたのだから。


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